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【長崎市】唐人屋敷跡巡り!いつ誰が貿易していたのか歴史をわかりやすく解説

中国

唐人屋敷跡の歴史とは?読み方や目的をわかりやすく簡単に解説

唐館図絵巻(部分1/唐船周り)
長崎歴史文化博物館所蔵
名称唐人屋敷(とうじんやしき)
所在地〒850-0906 長崎県長崎市館内町
完成年1689年(元禄2年)
特徴江戸時代の鎖国政策で設置された中国人の住居地区
由緒・密貿易を防ぐため
・キリスト教の伝播防止のため

「唐人屋敷(とうじんやしき)」とは、江戸時代初期の幕府がキリスト教の布教を恐れて行った鎖国政策に伴って1689年(元禄2年)に設置された中国人専用の住居地区のことです。

鎖国政策が行われるまでは、長崎市内に自由に住んでいた中国人でしたが、貿易の規制が厳しくなったことにより不正な「密貿易」が頻発。これを幕府が監視・管理しやすくするために、中国人を一か所に一括収容する必要があったのです。

当時は総面積9,400坪もあり、1度に2,000人を収容。年間6,300人が訪れていたとされています(※)。

※“長崎県文化観光国際部観光振興課 公式HP”参照

唐人屋敷と出島の違いは?なぜ場所が違う?

唐人屋敷出島
住人中国人ポーランド人
オランダ人
設置年1689年(元禄2年)1636年(寛永13年)
1641年(寛永18年)
隔離法高い塀と竹垣に囲まれていた四方を海に囲まれていた

まず、唐人屋敷と出島の場所が異なるのは住人の国籍の違いです。

唐人屋敷は中国人の住居だったのに対し、出島の最初の住人はポルトガル人。その後ポルトガル人が追放されて、平戸にいたオランダ人が入れ替わって出島の住人になりました。

また、出島が設置されたのは鎖国政策がはじまった翌年の1636年(寛永13年)。オランダ人が出島の住人になったのは1641年(寛永18年)だったのに対し、唐人屋敷は鎖国政策から53年後の1689年(元禄2年)に設置されています。

※“国立歴史民俗博物館 公式HP”参照


現在の唐人屋敷通りの場所はどこ?

▼おすすめのアクセス方法

  1. 「長崎新地中華街」を通り抜ける
  2. 「港公園」も通り抜ける
  3. 「唐人屋敷象徴門」を潜り抜ける
  4. 「唐人屋敷通り」に到着!

現在の唐人屋敷跡は「長崎新地中華街」から徒歩約3分の「唐人屋敷象徴門」を入口とする場所に残っています。

※詳しいアクセスについては、本記事の唐人屋敷跡の基本情報で紹介しています。

長崎・唐人屋敷跡の地図で見どころ紹介!

当初は総面積9,400坪、2,000人の収容能力があった唐人屋敷でしたが、1859年に開国したことをきっかけに、多くの中国人は新地や大浦へ出て行ってしまいました。

さらにはついに誰も住まなくなり、1870年に焼失。179年の歴史に幕を閉じることになったのです

しかしその後、明治時代に修復や建設が行われされたことにより、4つのお堂が現存。今回はその4つのお堂を巡ってきました!

1. 土神堂(どじんどう)|市指定史跡

反り屋根が印象的!土地の保安・豊作の神様が祀られた唐人屋敷跡で最古のお堂

「土神堂(どじんどう)」土地の保安・豊作の神様が祀られているお堂。現存する唐人屋敷のお堂の中で最も古く、唐船の船主の願いにより1691年(元禄4年)に建てられてました。

その後1784年(天明4年)の火事で焼失し、1945年(昭和20年)の原爆被害や老朽化で石殿だけになってしまいましたが、1977年(昭和52年)に再建され現在に至っています。

2. 天后堂(てんこうどう)|市指定史跡

レンガ堀が特徴!天后聖母の媽祖(まそ)を祀り航海安全を祈願したお堂

「天后堂(てんこうどう)」は南京地方の唐船主らが航海安全を祈願し、「天后聖母・媽祖(まそ)」を祀るために建てられました。ほか唐人屋敷内では福建会館、長崎市内では崇福寺と興福寺でも祀られています。

当時の中国と長崎間の航路の無事を祈った天后堂は、今ではお出かけ前の参拝スポットとしても人気!1906年(明治39年)に改築され現在に至っています。

3. 観音堂(かんのんどう)|市指定史跡

沖縄風?!アーチ型の入口が残る観世音菩薩と関帝が祀られたお堂

「観音堂(かんのんどう)」「観世音菩薩」商売繁盛の神様「関帝」が祀られたお堂で、1737年(元文2年)に建てられたとされています。

1784年(天明4年)の火事で焼失し、その3年後に再建。現在のお堂は1917年(大正6年)に中国商人の鄭永超によって改築されていますが、アーチ型の入口は唐人屋敷時代のままとされています。

4. 福建会館(ふっけんかいかん)|市指定有形文化財

中国×和風様式のコラボレーション!福建省貿易商たちの会所

「福建会館(ふっけんかいかん)」は1868年(明治元年)に福建省出身者によって建てられた貿易商たちの会所です。ほか3つのお堂にはない和風様式が取り入れられ、まさに日中交流が凝縮された建造物!

以前北側にあった会館本館は1945年(昭和20年)の原爆により倒壊してしまい、現在は正門と天后堂のみが残されています。

※“長崎市 公式観光HP”参照


【FAQ】唐人屋敷についての質問

川原慶賀「龍踊図」
長崎歴史文化博物館所蔵
Q
唐人屋敷はいつできた?
A

鎖国政策から53年後の1689年(元禄2年)に設置されました。

Q
唐人屋敷はなんのために作った?そのときの将軍は誰?
A

キリスト教の伝播防止と不正な密貿易を防ぐため。設置当時の将軍は徳川綱吉です。

Q
唐人屋敷に住む中国人の扱いは?
A

中国人は1人での外出ができなかったものの、団体であれば長崎市内の唐寺へ参拝は可能。遊女を招いて宴会を開くことも頻繁だったようです。

Q
唐人屋敷と出島(オランダ商館)の違いは?
A

住人の国籍(中国人かオランダ人か)の違いです。


唐人屋敷跡の基本情報

名称唐人屋敷(とうじんやしき)
電話番号095-829-1193(長崎市文化財課)
住所(所在地)〒850-0906 長崎県長崎市館内町
アクセス路面電車(1番系 長崎駅~築町)約8分、徒歩(築町電停~唐人屋敷跡)約7分
入場料金なし
参考HP長崎市公式HP

唐人屋敷跡に入場料金はない!

唐人屋敷跡を巡るのに入場料金はかかりません。

なお「長崎ランタンフェスティバル」では、唐人屋敷も会場の1つになっています。色鮮やかで華やかなランタンが唐人屋敷を彩るほか、当時の中国人が長崎に伝えた龍踊りも見ることができるのでおすすめです!


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